栃木県那須塩原市で3万人以上の施術実績をもつ鍼灸専門院は木下はり療院

木下はり療院


院長紹介

kuroneko1.jpgのサムネイル画像鍼灸を勉強していた学生時代、将来をどうするか、本当に悩みなした。
クラスの仲間のほとんどは、病院へマッサージ師として就職して行きましたが、私は、2千年・3前年ともいえるほど続いていたこの鍼灸が気になっていました。
それだけ続いている治療術であれば、何らかの体系が出来上がっているに違いないと思い、その頃受業で学んだ脉診を切っ掛けに、鍼灸のバイブルともいえる、古典書、素問(そもん) 霊枢(れいすう) 難経(なんぎょう)を、意味も分からず読んでいました。
就職先も幸い、鍼灸師として受け入れて貰い、院長のお手伝いからはじまり、そのうちに、初診の患者さんを、任せて貰えるようになりました。
専門の雑誌などから、自分の進むべき道は、ここだと思い、東洋はり医学会への入会を決意しました。
 
院長紹介
vQXGmk3JavorZCk1464400953_1464401560.jpg
木下敦夫(きのした あつお)
1960年6月8日生まれ
1982年 はり師 きゅう師免許取得
1982年5月~84年5月  福島県白河市 三瓶鍼療院勤務
1983年4月 東洋はり医学会入会(23期生)
1984年8月 木下鍼灸院開設(西那須野町下永田 現那須塩原市)
1990年8月 木下はり療院に改称 現在地に移転
2007年5月~15年6月 東京都渋谷区神宮前に、フェリス表参道開設

menkyo.JPGのサムネイル画像現在
 東洋はり医学会 理事 総務部長
日本伝統鍼灸学会広報部 視覚障害者の為の情報提供委員会 委員
(公社)日本鍼灸師会 会員  (一社)栃木県鍼灸師会 会員
(一社)栃木県鍼灸師会・(一社)栃木県鍼灸按マッサージ指圧師会 認定スポーツ鍼灸師
 
その他
2001年9月 生涯研修表彰 東洋療法研修試験財団
 2004年 1月 日本気導術学会認定 気導師
2006年9月 生涯研修2回目表彰 東洋療法研修試験財団
同年11月 医療部門表彰 大田原地区公衆衛生教会


趣味 アマチュア無線 音楽鑑賞 読書


第二級 アマチュア無線技士 第三級 陸上特殊無線技士
kidojutsu.JPGのサムネイル画像nintei.JPGのサムネイル画像h-koushu.JPGのサムネイル画像shogai-h.JPGのサムネイル画像
 

東洋はり医学会での略歴など

↓「この木なんの木」ハワイにて撮影
konokinannoki.JPGのサムネイル画像1982年8月 第7回 経絡治療学術大学技術講座 普通科受講
1983年4月 東洋はり医学会入会 23期生 普通部1年 埼玉支部所属
1984年8月 第8回 経絡治療学術大学技術講座 普通科受講
1985年3月 普通部終了
1987年3月 高等部終了→講習部終了
1992年4月 研究部に所属
8月 第12回 経絡治療学術大学技術講座 研究科受講
1993年 埼玉支部 支部長就任
1997年9月 第21回 わかりやすい経絡治療学術講習会 実行委員・講師
1998年10月 第22回 わかりやすい経絡治療学術講習会 実行委員・講師
1999年8月 第14回 経絡治療学術大学技術講座(東京都中央区晴海)普通科講師
2001年7月 第15回 経絡治療学術大学技術講座(東京中央区晴海)普通科講師
2002年5月 第26回 わかりやすい経絡治療学術講習会 実行委員長・講師
20
3年 指導員・総務部副部長就任
  7月 第16回 経絡治療学術大学技術講座(東京都中央区晴海)高等科講師
2004年 理事就任
  5月 第28回 わかりやすい経絡治療学術講習会 講師
9月 ヨーロッパ支部(イギリス ロンドン)出稿
↓イギリスのロンドン・タクシー
taxi-k2.jpgのサムネイル画像
200
5年7月 第17回 経絡治療学術大学技術講座(東京都品川区高輪)高等科講師

2006年9月 札幌支部(北海道札幌市)出稿
  11月 北九州支部(福岡県北九州市)出稿

007年7月 第18回 経絡治療学術大学技術講座(東京都品川区高輪) 海外研修科講師

  10月 オセアニア支部(オーストラリア メルボルン)出稿
↓オーストラリア メルボルン講習会にて
Melbourne200710.JPGのサムネイル画像
2008年5月 第32回 わかりやすい経絡治療学術講習会 講師





9月 
ヨーロッパ支部(ドイツ ベルリン)出稿
↓ドイツ ベルリンのブランデンブルグ門
ブランデンブルグ門.JPGのサムネイル画像   10月 熊本支部(熊本県 熊本市)出稿

2009年5月 第33回 わかりやすい経絡治療学術講習会 東北大会 本部講師
7月 第19回 経絡治療学術大学技術講座(東京都品川区高輪
) 高等科講師

2010年5月 第34回 わかりやすい経絡治療学術講習会 講師



9月 ヨーロッパ支部(スイス ルツェルン)出稿

↓スイス ルツェルン湖から見える山々
201009Luzern.JPGのサムネイル画像   11月 
岩手支部(岩手県 盛岡市)出稿

2011年11月 関西支部(大阪府大阪市)出稿

2012年4月 総務部長就任
5月 第36回 わかりやすい経絡治療学術講習会 講師



2013年3月 オセアニア支部(オーストラリア シドニー)出稿
↓オーストラリア シドニーにて
2013Sydney.JPGのサムネイル画像  7月 第20回 経絡治療学術大学技術講座(東京都台東区浅草) 海外研修科講師
  9月 宮城支部(宮城県 仙台市)出稿

2014年5月 第37回 わかりやすい経絡治療学術講習会 講師

2015年8月 第21回 経絡治療学術大学技術講座(東京 浅草) 普通科講師



  9月 ヨーロッパ支部(イギリス スコットランド グラスゴー)出稿
↓イギリス スコットランドのスコッチ


201509Glasgow.JPGのサムネイル画像 2016年3月 第3回 海外支部合同特別講習会(2016 Spring Workshop) 講師
7月24・25日 第11回 国際指導者研修会 班長
9月15日〜18日 ヨーロッパ支部(ドイツ ベルリン)出向
11月20日 瀬戸内支部 出向
 

私は、強度の弱視です

私は、生後間もなく「逆さまつげ」であることが判明し、近くの眼科医の手術を受けました。
ところが、その後の私の動きに異変を感じた、両親が眼科医に見せたところ、失明していることが分かりました。
その後の両親の苦悩は、私には創造も、つかないほどのものであったろうと思います。
友人・知人より話を聞き、関東近辺の大学病院などを、幼い姉と共に巡り歩いたと、母より、何度となく聞いたものでした。
しかし、世の中捨てたもんじゃないなと思うのは、福島県二本松市ノ眼科医にて、僅かながらも視力を回復することができたのです。
私の視力は、0.06、一般的な視力が1.5とすると、かなり見えていないことがすぐにおわかりと思います。
他に、視野狭窄があり、真正面は、全く見えません。左前方方向のみが私に見える範囲です。よって、おかしな方向を見ているなと思っていてもちゃんと皆さんを見ていますので、安心して下さいね(笑)
 

私の眼の病名は

網膜色素変性症
です。
この病気は、遺伝性の病気とされていますが、親戚関係にも、同じ病気の人は全くいませんので、本当に遺伝性のものかどうか、ちょっと疑問ですね。
しかし、子供のうちに、発症したということで、自分へのダメージは少なかったのかもしれません。
元々気の弱い人間ですから、中学生とか、高校の段階で視力低下などということになれば、かなり落ち込んだことでしょう。
 

 白内障の発症

2004年頃から、眼がかすむようになり近くの病院に行くと、「白内障」との診断。
何らかの眼の障害があると早めに、白内障が起こるという話は、友人からも聞いてはいましたが、まさか自分にくるとは思ってもみませんでした。
しばらく、通院し、目薬の点眼で、しのいでいました。
その後、担当医が転任し、別の医師に変わったところ、
「手術は何時するのか」と、突然問われ、私は驚いてしまいました。
手術は全く考えていなかったのです。
点眼薬も変わり、症状は悪化しました。
このままこの医師に診て貰っていても変わらないと思い、以前より聞いていた日本では一番古くからの眼科専門病院である
「井上眼科」を受信してみようと思い、月1度の東京 お茶の水への通院が始まりました。
担当の女医さんは、
「うちには、日本一の名医がいるから、是非、あなたはその先生の手術を受けるべきだ」との提案を頂きましたが、まだまだ、手術を受ける気は有りませんでしたので、しばらくは、点眼薬で様子を見たいとお願いしました。
 

 手術の決断

点眼薬でもあまり効果が出にくくなってきた頃、鍼灸師会の役員会で宇都宮市文化会館へ行った帰り、南宇都宮から、東武電車に乗ろうと思い、駅に行き、ホームを歩いていると
お客さん、どこへ行くのですか、
と、問いかけられました。
宇都宮に行くのですが、
と、答えると
ここは、線路の上ですよ。
えっ!!!、
この駅は、線路を渡ってほーホームに上る形式になっており、自分は、もう、ホームに到達しているものと思い込んでいました。
ところが、その手前で曲がってしまい、線路の上を歩いていたということで、駅員に呼び止められたのでした。
線路と、ホームでは、歩いてみれば分かるだろうと思うかもしれませんが、それがわからなかったのです。その時になってみないと、判断できないものですね。
また、ある日、東洋はり医学会の研修会に出かけようと、駅まで歩いていると、何となく雰囲気がおかしい。よく見てみるとセンターラインがある。なんと、道路の真ん中を歩いていたのです。もちろん、自分は歩道を歩いていたつもりでした。
家の者からは、そんなに見えないなら、外へ出るなと言われましたが、それでは、ずっと家にいることになる。正に、人生の終わりだと思ってしまい、ここまできたのなら、手術をしても良いだろうと思ったのです。
 

手術を躊躇した理由

知り合いの話などを聞くと、この網膜色素変性症での白内障手術は、受ければ一時的にははっきりと物は見えるようになるが、長くても1年ぐらいで、失明する。と、いうものでした。
主治医の女医さんにも色々と聞きましたが、そこまでのデータはないとのことで、セカンドオピニオンを受けてみることにしました。
知り合いが、友達だった眼科医を通して紹介してくれたのは、埼玉県所沢市にある 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の眼科医でした。
ここでも、その担当をしてくれたのは、女医さんでした。
さすがに専門病院でもあるからかどうかは、分かりませんが、たっぷりと時間をかけて、私の話を聞いてくれ、通常の手術の話なども聞くことができました。
しかし、術後のデータは取っていないので、その後については全くわからないとのこと。
だったら、この先生の手術を受けるより、井上眼科の主治医が進める手術を受けた方が良いと判断し、後日、手術のお願いをしました。
セカンドオピニオンというのは、初めての経験でしたが、幸いな事に、主治医は快く引き受けてくれ、それまでのデータも出してくれていました。
手術を受けるには、まず、その先生の診察が必要、ということで、次の診察の予約で、徳田芳浩医師の診察を受けました。
今も、インターネットで検索すると徳田先生のプロフィールは見ることができます。
やはり、白内障でも、難しい症例の手術を得意としている正に、ゴットハンドの持ち主でした。
単なる白内障単体の病気であれば、一般の眼科医でも、何ら問題ないようですが、他に病気のある場合は、難しくなるようです。
手術は難しいのでしょうか
との私の問いかけに、徳田先生は、
面倒なだけですよ。
と、簡単に言ってのけたのです。
それまでの経験から、自信があったのでしょう。私は、その言葉を聞いただけで、この先生ならもしかして...
先生は、手術着を着ており緊急の手術などにも対応できるようにしていたようでした。その証拠に、診察室の壁には、緊急手術の為、休診中などという札もさがっており、時折、そのような場面もあることを匂わせていました。
顔写真を見ても、精悍な面構えとでもいうのか、自信に満ち溢れたような感触を受けます。
世の中には、本当に名医というのはいて、普通ではできないようなことを、いとも簡単にやってのけることができる人、って、本当にいるんですね。
 

いざ、手術

その日は、東洋はり医学会の研修会が有りました。夕方は、理事会も有りましたが、早めに会場を後にして、お茶の水駅近くのビジネスホテルにチェックインしました。
翌日、お昼ちょっと前、井上眼科病院に行き、入院手続きを行い、個室の病室へ、一泊7千円の部屋で、トイレが付いていました。
昼食も出されましたが、これから手術となるととても、食欲なんて有りません。今、考えても不思議ですが、きっとそれなりに緊張していたのでしょうね。私が食欲がないなんて...。
看護師さんが迎えに来て、手術着に着替え、車いすで手術室へ。
ストレッチャーに移り、心電図などの装置を付けられ、順番待ち。
私の他にも手術をする医師はおり、また、その助手や、看護師など、見えるだけでも数名手術室には居ました。
ストレッチャーに乗せられた患者も数名、順番待ちです。
私の番がきて、徳田先生のところへ移動。左側には別の患者が手術を受けていました。
眼の手術なんて、どんなことをするんだろう。見えている中でのことなんて、とても気持ち悪いだろうなぁと思いつつも、耳をそばだてていました。
確か、名前などを聞かれて手術開始です。
点眼薬の麻酔などを、何種類か左目に流し込まれます。
最初、光だけがぼんやりと見える程度、何をやっているのかは全く分からない。
助手と思われるかわいい助成の声も聞こえる。
左隣りでは、おわりましたよ などという声、
あぁ、隣の人は終わったんだぁ、
なんて、思いつつ、
突然、目の前が真っ暗に、
えっ!!!。
いったいどうしたんだろう。と、思いつつも、何も言わずそのまま、
直接レンズが付けられないので、枠を付けてから、レンズを入れます。この枠は、保険はききませんが、ご了承下さい。
へぇ、そんなすごいことがこの小さな眼の所でできるんだぁと、感心していると
もうすぐおわりますよという徳田先生の声と同時に、また、光が見えてきます。
手術終了。凡そ、40分ぐらいかと思われます。
通常の白内障であれば、15分程度で終わるらしい。やはり、面倒な手術だったんだろうなと思いながらも、ホッと一息。
再び、車いすに乗せられて病室へ戻ります。
手術ということで、母も来ていましたが、東京は久しぶりだと言い、どことなくはしゃいでいる感じ、
お昼、食べてくるからと言いながら、病室を出て行きました。手術というのは、やはり、体力は消耗するんですね。はしゃいでいる母に、ちょっぴり腹立たしく思いながらも、ベッドに横になりました。
眼帯は夕方に取りますとのことで、プラスチックみたいな眼帯を付けられたまま、備え付けのラヂヲを聞いていました。
さすがに、眼科専門の病院だけに、テレビは付いていませんでした。
友人から電話がくる。いったいこんな時になんだよと思ったら、
手術はどうだった、
とまぁ、なんちゅうこっちゃ。
眼の手術なんてどぉってことないだろうと思っていましたが、以外に疲れるもんだなと思い、そんな時の電話だけに、少々、むかつきもしましたが、暇だったので、ほんのちょっぴり無駄話をしてしまいました。
眼帯越しで見る周りの様子は、丁度、カメラのファインダーを覗いている感じ、小さく見えるのです。
こんなのになっちゃうのかと、少々、不安にもなりましたが、眼帯を外す頃には、普通に見えていました。→すごいもんですよね。
 

入院、二日目

昨日は、左眼、今日は右目の手術です。
朝食後、徳田先生の診察を受けます。
特に問題ないですね。午後から右目を手術します。
というような会話が有り、病室で静かに過ごしていました。
右目の手術、昨日と同じように手術室へ、
今日は、男性の助手さんらしい。
手術開始からしばらくして、
レンズを付ける部分が弱っているのでこちらの眼には、レンズを付けても落ちてしまうかもしれません。
ということで、右目はレンズは付けないことにしました。
水晶体を付けないでその部分は、いったいどうなっているんでしょうね。
後日、コンタクトレンズはどうかと主治医より話をされましたが
視力はほとんどないようなものだから
と、いうと
そんなことはない。
と、結構きつく言われてしまいました。
少しの視力でも大切にしろというメッセージだったのかもしれません。
が、今も、右目は何もしていません。
この日の手術は昨日より早めに終わったようでした。
そりゃそうですよね。水晶体を入れる必要がなかったし、昨日は、枠を取り付けてそれから、水晶体ですから、時間がかかるのもしかたないと思います。
でも、驚くべきことは、顕微鏡下で行われる眼の手術、そんな細かいことを時間を書けてやり続けるなんて、かなりの我慢強さがなければできるものではないと思います。
私などには、全く無理な話だろうと後から考えると、つくづく感心させられました。
夕方になると、眼が痛くなり、そのことを看護師さんに伝えると、
氷でひやしましょう
とのこと、
なぁんだ、薬を使うんじゃなくて、何とも昔ながらの方法だなと思いつつも、しばらくすると気分も爽快になります。
病室の外をふらふらしていると、外には出ないで下さいね
と、怒られてしまいました(笑)。
 

入院、三日目

本当は5日間入院して、最後に診察を受けて退院する予定になっていましたが、今日、退院しろとのこと。幸い、術後も順調。
水晶体が落ちることはありませんか
と、聞くと、
事故が起こりやすいのは術後1日程度、その後に落ちることはほとんどないとの徳田先生。
診察後、支払いなどをして病院を出ました。
病院でそれも、手術代金をクレジットカードで支払えるというのは、初めて、20万円近く、ポイントも貯まるなぁ、などとばかなことを考えて外へ。
 

帰宅

外へ出るとかなり眩しい。
眼科病院だけに、1階には、ネガネ屋さんが有ります。そういえば、最初の手術で使った枠、このメガネ屋さんから仕入れていたものでした。領収書で確認。
サングラスを買い求め、再び、外へ。
何とも世の中、鮮やかだったのね。
という感じ、見るもの全てが、これまでに見たこともないほどの鮮やかな色を、していました。
本当に眩しく感じたのは、生まれて初めてです。
網膜色素変性症は、眩しいからサングラスをかけろという話は、よく聞くものですが、私はそんなことは全く有りませんでした。しかし、今は、眼さえ開いているのも厳しい状態でした。
病院近くのインドカレー屋で、昼飯を食べて帰宅しました。
家に戻ると、まず、感じたのは、家の周りの道路のアスファルトまでもが、はっきりと見えたことに驚きました。
それまで、見えてはいましたが、ゴツゴツしたような感じまでは見えていませんでした。
更に驚いたのは、家の中に入ってからのことです。
治療室をはじめ、自分の部屋など、なんと、汚いことか、こんな所に私はいたんだなと思い、また、そんな汚い所に皆さん、来てくれていたのかと、申し訳ないことをしたと反省した次第です。
そういえば、後から聞いた話ですが、知り合いも、汚い治療室であったことは分かっていた。でも、わるいから黙っていたという。
社会というのは、大変厳しいものですね。そんなことだったら、はっきりと言ってくれればいいのに、何も言わないのが、普通なんでしょうね。
それに似たようなことはこれまでにも、沢山有りましたが、ちょっと、いや、結構、かなり、嫌なことだなぁと思います。
 
せっかくですのでお願いです。
 
私の関係で、いやなことや、不快なことが有りましたら、どうぞ、はっきりと言って下さい。
 
私は怒るどころか、逆に感謝します。
きっと、誰もそんなことは言ってくれないから、それを言ってくれた人には、心の底から感謝します。
 

その後

眼の調子は非常に良好です。
何度か、診察にも行っていましたが、丁度、東京に治療室を出したことも有り、仕事が忙しくなり、眼の調子もいい。
主治医の先生が、産休ということで、病院からは足が遠のいてしまいました。
 
眼は全く問題有りません。
 
主治医の明子先生、私は先生に、出会わなかったら、徳田先生にも出会うことはなかったでしょう。
病院通いというのは、大変苦痛なものですが、先生が主治医だったから、遠くまで通うことができたのです。
眼の注射は本当に、痛かったですね。あれは、一生忘れられません。
 
手術をしてくれた 徳田先生、本当にありがとうございます。光を使わないで手術だなんて、本当にゴッドハンドですね。きっと多くの患者さんが先生の手術でその後の人生も楽しく過ごせていることでしょう。ちょっと考えただけでも本当にすごいことだと思います。
 
心よりありがとうございました。
自分にもっともっと、すばらしい表現力があったなら、良い表現がきっとあると思いますが、残念ながら、その力は私には有りません。
今、この文章を書いていても、涙が出ます。
ほんとうにありがとうございました。

木下はり療院のご案内

住      所:
〒329-2731
栃木県那須塩原市二つ室217-2
アクセス:
JR西那須野駅からタクシーで5分
市営循環バス ゆーばす JR西那須野駅東口より 5分 二つ室公民館下車 徒歩1分
東北自動車道 西那須野塩原インターより20分
お問い合わせ・ご予約
0287-37-0929
受付時間:
【午前】
9:00~11:30
【午後】
14:00~18:00
完全予約制
休診日:
日曜日のみ

メールでのお問い合わせ


ページ上部へ